
東京開化名勝京橋石造銀座通り両側煉化石商家盛栄之図
作者名広重(Ⅲ代)
時期明治7年12月(12,1874)
- 手前はガス燈のついた京橋。ガス燈は、横浜のガス点燈から2年後の明治7年12月に、京橋から南の銀座に85基が取付けられた。しかし横浜に比べて暗く、評判が良くなかったという。
- 新しい銀座通りができても、不評で入居者が少なかったとき、ここに進出を争ったのは新聞社であった。この絵に描かれた、恵比寿屋のあとに進出した日報社(現在の毎日新聞)や、日就社(現在の読売新聞)、朝野新聞など30数社の新聞社が銀座に社屋をかまえた。
- 乗合馬車の横に書いてある「千里軒」は、乗合馬車屋で、今日でいうバス会社である。営業は東京市内のみでなく、明治12年には東京ー宇都宮(1円96銭)を運行した。